■239 / inTopicNo.1)  福音ってなあに? ▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1303回)-(2007/03/16(Fri) 04:47:24) 40年も前に日曜学校の小学生、山室桂子ちゃんに聞かれた 「福音ってなあに?」がいまだに心にひっかかってる。 そのときは、模範回答をしたつもりだったが、それでは納得してもらえなかったw そのときの模範解答は、 「福音って、イエス様だよ、イエス様が来てくださったということだよ!」だったんですが。 たしかに、パンドラの箱からの災難たち?とちがい、 福音の大箱からは金銀珊瑚(古いなあw)がザックザックなんだけど、 舞台が嘘を真に見せるのと違い、伝道者は、まことをうそに、、、、w で、ちょっと、「福音とは」で検索してあれこれあげてみて、、、 表ではちゃちゃが入りそうなので、ここで。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■240 / inTopicNo.2)  Re[1]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1304回)-(2007/03/16(Fri) 04:49:48) 福音書 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: ナビゲーション, 検索 福音書(ふくいんしょ、ギリシア語:ευαγγέλιον、ラテン語:Evangelium)とはイエス・キリストの言行録のこと。通常は新約聖書におさめられた福音書記者による四つの福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)を意味する。その他にトマスによる福音書などがあるが、正典として認められなかった外典文書である。 目次 [非表示] 1 概説 2 共観福音書の問題 3 外典福音書 3.1 解説 3.2 外典福音書の一覧 4 関連項目 5 外部リンク [編集] 概説 福音とは本来、「良い知らせ」という意味である。イエスの言行録という意味でなく、「良い知らせ」という意味での福音という言葉の用例はパウロの『コリントの信徒への手紙一』15:1にみられる。そこでパウロはイエスの死と復活こそが福音であるといっている。このことからもわかるように福音書は単にイエスという人物の伝記や言行録ではなく、その死と復活を語ることが最大の目的となっている。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■241 / inTopicNo.3)  Re[2]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1305回)-(2007/03/16(Fri) 04:54:12) もし、神がいないとすれば、自分の意思だけで生きていくのは間違いではないと思います。でも、神がいるとしたら、「わたしは何のためにつくられたの?」と問いかけ、その答えをもらって、目的を果たす生き方をするのが自然なあり方だと思いませんか? 言うまでもなく、聖書は神がいることを前提で書いてありますから、聖書の視点に立つと、自分の考えだけに従って生きる人は「的はずれな生き方」をしているということになります。そして、皮肉なことに、「的はずれな生き方」が罪の本質ということになっています。(w  人間は程度の差はあれ、みんな好き勝手やってみたいという思いがあると思います。わたしもそうです。だから、みんな同様に罪人ということになります。聖書にも「人間はみんな罪人である」と書いてあります。世の中には多くの罪があります。毎日わたしたちが見聞きするニュースに、悪い知らせがたくさんあると感じる人は多いのではないでしょうか。でも、罪の大小にかかわらず、それをつきつめていくと、原因は神という存在を無視した生き方にあるというのです。  つまり、神は人間をつくったはずなのに、人間は神を知らない状態で生きているから、既にその状態で罪人、さらに、日常の悩みとか苦しみとかがあって、最後は必ず死にます。行き先は誰にも分かりません。ということで、人間はかなり悲惨なことになっているわけです。(TT)  でも、聖書には、この問題の解決についても書いてあるんです。だから、「Goodnews」よい知らせなのです。 やっとここまで来ました。その解決のカギは、聖書によるとイエス・キリストです。だから、キリスト教なわけです。このキーワードが出た時点で抵抗を感じる方もあると思います。第一、いきなりそう言われても話しがつながらないですよね。だから信じるのが難しいのかもしれません。  神と人間の関係が悲惨なものであることは、お分かりいただいたと思います。その関係を元に戻すには、越えなければならない壁があるような気がしませんか。人間同士が和解することさえ難しいのですから、神との和解がもっと難しいのは何となく分かるような気がします。でも、人間にはその力はありません。もし、誰かが神に罪を償おうと思っても不可能です。仮に償えたとしても、次の瞬間から人間は罪を犯しています。罪の借金は増えるばかりです。人間の側としては、もうどうしようもありません。  でも、神は真実な方です。人間をつくって放っておくのではなくて、どうしようもないこの問題の解決にも手を差し伸べてくださいます。聖書には、「血を流すことなしには罪の赦しはありえない」と書いてあります。要は人間全部死んで償いなさいということです。極道の世界どころじゃないです。無茶です。(w  神はどんな方法で人間を救うのでしょうか。イエス・キリストを誕生させ、全ての人間の罪を背負わせ、身代わりに死なせたのです。ご存知の方も多いと思いますが十字架刑でした。どうして、キリスト教会が十字架をかかげているか、お分かりになったでしょう。背負った罪には、過去・現在・未来の全ての罪が含まれています。信じる人は全ての罪が赦されます。赦されない罪はありません。 さらに、イエス・キリストは死んで後、復活されました。人間の死という問題にも解決があることを示されたのです。 上手すぎる話だと思いますか?上手すぎる話です。だから、信じることができない人が多いのだと思います。極論を言えば、ここまで書いてきたことが本当のことかどうかは分かりません。でも、わたしは信じているから書きました。どう受け取るかは、やはり一人ひとりの人間に委ねられています。  個人的な意見ですが、「福音」は本当にすばらしいです。そして奥が深いです。ここまで長々と書いてきましたが、とても全ての内容を語り尽くすことはできません。わたしは思います。罪が赦され、心の重荷が解放された人は何と幸いなことでしょう。今日も多くの人が悩み苦しんでいると思います。そんな人たちに是非「福音」を知っていただきたいです。  人間は感情と理性があって問いかけをします。でも、問いかける相手として、神という選択肢をもっている人は少ないと思います。神という存在について教えられたことがないから、問いかける方法があったとしても分からないのが普通です。もし、それを知りたいと思う方や「福音」に興味を持たれた方がありましたら、いつでもわたしたちの教会にお越しください。心よりお待ちしております。つたない文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。 高松クリスチャンチャーチ 〒761-8056 香川県高松市上天神町743番地3 TEL&FAX 087(867)6381 E_mail: jgpc-tcc@wonder.ocn.ne.jp 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■242 / inTopicNo.4)  Re[3]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1306回)-(2007/03/16(Fri) 04:55:11) 福音とは −少しまじめな話−  聖書には福音という言葉がよく出てきます。あなたも一度は聞いたことがあるでしょう。福音とは良い知らせ、ビックニュースの事です。懸賞で百万円当たったり、何かの試験に合格したとき等、私たちは嬉しさのあまりニュース、ニュースと叫んで大騒ぎをします。聖書が言う福音をそのようなイメージで捉えると、事の重大さを伺い知ることができると思います。  父なる神は、罪と罪過の中に歩んでいる人間を救おうとして、御子イエス・キリストを遣わし、十字架にかけました。それは私たちの罪の身代わりであり、又、父なる神の私たちへの愛の現れでもあったと聖書は語ります。悲しいことですが、人間は自分の罪深さのゆえに、さまざまの罪を犯します。その中には償えるものもあるでしょうが、そうでないものもあります。人の命を奪う殺人など、その典型でしょう。命のスペアはどこへ行っても売っていません。ですから、まともな人間なら、償えない罪の大きさゆえに良心の呵責を覚えます。心の痛みはどのようにして癒すのでしょう。「良心の呵責からくる心の痛を取り去ります!」などという新薬が売り出されたら、大ブレークすることでしょう。しかし、残念ながらどこのデパートでも売っていません。せいぜい酒を飲んで気をまぎらわすだけです。 しかしビックニュースです。イエス・キリストは私たちの罪のために十字架について、代わりに償いをして下さいました。ですから、この方によって救われるなら、私たちは良心の 呵責から解放されるのです! これが福音の真髄です。  この福音は2000年間世界を駆けめぐり、世界中の人を救ってきました。今日も聖書はあなたに語りかけます。 「地の果てのすべての者よ、キリストを仰ぎ見て救われよ。」               聖書 イザヤ書45章22節 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■243 / inTopicNo.5)  Re[4]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1307回)-(2007/03/16(Fri) 04:56:02) 福音 福音とは「良い知らせ」を意味します。聖書の良い知らせとは、神の御子イエス・キリストを救い主として信じる者は、赦され、神との関係が回復され、だれでも永遠のいのちをもつことができるということです。 「まことに、まことに、あなた方に告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、裁きに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」  ヨハネの福音書5章24節 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■244 / inTopicNo.6)  Re[5]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1308回)-(2007/03/16(Fri) 04:56:59) 福音 ふくいん (1)よろこばしいしらせ。 (2)イエス=キリストの説いた神の国と救いの教え。ゴスペル。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■245 / inTopicNo.7)  Re[6]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1309回)-(2007/03/16(Fri) 04:58:49) 原始福音とは − 原始福音を欠くならば −   CONTENTS TOP MENU へ    幕屋とは MENUへ   お便りは こちらから 手島 郁郎 (『生命の光』556号より)  原始福音とは、キリスト教の一流派ではない。イエス・キリストの宗教的本質を滴々伝承する霊的本源である。キリストの血に贖罪されて新生した魂が、生けるキリストと偕に歩く信仰生活の体験として、福音書の原始イエスに直接に従い学ぶことを指向する霊的な伝統である。  キリスト教の教会、教派を問わず、もし原始福音を少しも有せず、また、その教会の信者や教派の教師が原始福音を目ざす心を全く欠いでいるならば、名称はともかく、もはや本質的にはキリスト教と称しがたいのである。それは、新約聖書の中心である福音書と使徒行伝の信奉を抹殺することとなるからである。  原始福音とは、キリスト教の本質であり、キリストの生命の現象への呼称であって、キリスト教のアルパにしてオメガなるもの、これ原始福音であるといってよい。信仰は原始福音に学んで出発し、原始福音に終わるだけで充分である。もしキリスト教から原始福音を取り去れば、キリスト教たる所以(ゆえん)のものを失い、キリスト教は死物のミイラに化してしまうのである。原始福音はキリスト教の一派ではない、キリストの宗教そのものである。  世界にも、日本にも、色々とキリスト教の教派があるが、それらが多かれ少なかれ、原始福音を指向しつつある限り、それはキリストの命脈を保つものとして、私たちは尊んでゆかねばならぬ。ここに私たちが教派の差異を超えて、交わりの一致と寛容な心をもって敬愛する所以がある。  宗教の目標は、伝承の敬虔な儀式や教義への知的な遵奉にあるのでなく、各人が霊的な回心を得るにある。単に道徳的な悔い改めに止まらず、旧来の性情が一変して、無明の闇に迷う心が霊的な光明に輝く喜びに交替することである。心が輝き、愛が湧き、善き意志が起こり、奇跡的な能力が賦与される新生聖化の経験である。  クリスチャンになるということは、外面的に教理や信条を告白することでなく、内面的にキリストの血である聖霊の生命を領有して、神の国を生きてゆくことなのである。これを忘れているのが現代キリスト教の伝道ではあるまいか。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■246 / inTopicNo.8)  Re[7]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1310回)-(2007/03/16(Fri) 05:01:54) 福音とは その1 福音といったとき、それがどのようなものであるか?と何度も問われたことがあります。 そのたびに、いろいろな答え方をしてきたんですが、簡単にいうと、グッド・ニュースですね。 福音とは、<イエス・キリストによって明らかにされ、可能なものとされた神の喜びの知らせ>と言ったものです。 この教会は、道徳や律法、社会的なルールといったものに縛られるのではなく、福音によって縛られるのだと語ってきました。 よく律法と福音は対置されます。 旧約の律法と新約の福音といった感じです。 私たちは、律法に生きるのではなく、福音に生きます。 つまり、それはイエス・キリストの福音(イエスによってもたらされたグッド・ニュース)であり、そこには自由と解放があり、愛によって縛られ、方向を見出すものです。 それは新約聖書の中に宣べ伝えられて、明らかにされたもので、旧約聖書の中にでは、ずっと待望されてきたものです。 だから、私たちはこの<福音>を何よりも優先させます。 よく聞く、福音主義というのは、本来的には、そのような態度のことを言います。 私たちは完全にこの<福音>のみに立とうというのだから、<福音原理主義>というのは、ある意味、いい表現だと思います。 徹底的に福音に立つということです。 福音にどっぷり浸かるということです 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■247 / inTopicNo.9)  Re[8]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1311回)-(2007/03/16(Fri) 05:03:29) 福音とは その2 この福音というのが、さて、一体いかなるものであるか。 福音というのは、究極的にはキリストご自身の事です。 そのキリストを私たちは聖書から多く学んでいます。 福音の要素に、大きく<赦し>というものがあります。 旧約の民は何度も何度も罪の赦しというものを、生け贄を捧げる儀式を通して教えられ、反復して心に刻み付けてきました。 <贖い><赦し>といったものは、福音の中核です。 かつて、私(中川伊織)がインターネット上で、 他のクリスチャンの人たちに向かって、 「誰もがさばかれない教会をつくりたい。 赦しが溢れている教会。 見かけで人を判断したりせず、どんな人でも包まれる教会をつくりたい。 自由を基調として愛を求めていく教会。」 そうしたら、あるクリスチャン女性から、こんなことを言われたことがあります。 <そんなものは、ありえないと思います。 いつまで、幻想を夢見ているんでしょうか。 「誰もが裁かれない教会」「赦しがあふれている」って...。 クリスチャンなのに、盗みをしてもケロリとしているような人とか、平気で姦淫する人とか、人殺しをして快感を感じるような人がいても、訓戒もせず、避けもしないで、受け入れる教会っていう意味ですか。 そんなものが、愛ですか?> とメチャクチャナなことを言われました。 とにかく、赦しが溢れている教会自体を赦せないようなんですね。 でも、そうなのかもしれません。 自分がどんなに赦されているかが分からなければ、人を赦すことはできないんですね。 だから、私たちは「自分がどんなに赦された存在であるか」を見つめる、学ぶ、知っていく必要があるんです。 コメント(4) 以前、訪問にきて彼女らに「貴女は今幸せですか?」と聞かれ「まあ、それなりに」と答え「ほんとに今のままでいいんですか?ほんとに幸せですか?」なんて言われて、なんだかそんなに私不幸にみえるんかい?って思ったことがある。よく宗教の事わかんないけど、生きてる事自体が赦された存在なんだろうなあっては思うな。葛藤はあるけど。 削除用パスワードを入力してください 2007/2/26(月) 午前 4:24 コメどうもっすぅ☆で、マルミしゃん、貴女は今幸せですか? 削除用パスワードを入力してください 2007/2/27(火) 午前 0:56 ほんとに今のままでいいんですか? 削除用パスワードを入力してください 2007/2/27(火) 午前 0:56 マルミしゃん、貴女はほんとに幸せですか? 削除用パスワードを入力してください 2007/2/27(火) 午前 0:57 htt p://blogs.yahoo.co.jp/ippiki007/28942352.html?p=1&pm=c 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■248 / inTopicNo.10)  Re[9]: 福音ってなあに? ▲ ■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1312回)-(2007/03/16(Fri) 05:09:28)  Yahoo!知恵袋に投稿された知識から を [ 検索オプション ] すべての質問 「宗教」に関する質問 トップ > マナー、冠婚葬祭 > 宗教 解決済みの質問 お役立ち度: 1人中 0人が役に立つと評価しています。 この質問の閲覧数: 256 質問日時: 2006/10/5 22:55:21 解決日時: 2006/10/12 22:43:07 質問番号: 9,565,883 キリスト教でよく言われる福音とはどのような意味ですか?聖書には福音書と記載さ... キリスト教でよく言われる福音とはどのような意味ですか? 聖書には福音書と記載されている箇所もあるし、教派で福音派と呼ばれているのもあります。 キリスト教を知らない素人でも解る回答でお願いします。 回答数: 4  質問した人: ikaruga_asukaさん 2-1 この質問内容が不快なら ベストアンサーに選ばれた回答 回答日時: 2006/10/6 21:18:27 回答番号: 31,784,849 簡単に言えば 『福音』=『良い知らせ』=『good news』です。 クリスチャンは、キリストの教えを知った段階で、既に救われたと信じることができます。つまり、福音書を読んで、信仰が始まった瞬間に、自分は救われたと感じることができるのです。だから、その書物のことを、『福音書』=『良い知らせの本』ということができるのです。 アメリカの福音派というのは訳語が適当がどうかわかりませんが、『エバンゲリスト』という人たちであり、特定の教派ではなく、様々な教会を含みます。アメリカのほとんど全部そうだといっても良いでしょう。 定義するのは難しいですが、次のような特色があります。 ・聖書を神の言葉と信じ、誤謬のない完全な書物であると考える。 ・イエスを人間でなく神の子と信じる などなどです。私には『福音派』という訳語がいいのかどうかわかりません。 むしろ、『キリスト教根本主義者』というのが昔はよく使われていました。 基本的は、これが本物のキリスト教であって、一部のリベラルなキリスト教は似て非なるものといってもいいと思います。 回答した人: hhitujiさん 1-2 この回答内容が不快なら この質問・回答は役に立ちましたか? お役立ち度: 1人中 0人が役に立つと評価しています。 ベストアンサー以外の回答 並べ替え: 回答日時の 古い順 | 新しい順 回答日時: 2006/10/5 23:17:09 編集日時: 2006/10/6 12:15:50 回答番号: 31,760,173 「良いたより」と訳されるギリシャ語「エウアンゲリオン」で、欽定訳や他の幾つかの聖書翻訳で「福音」と訳されています。 (「エヴァンゲリオン」と発音した方が馴染みがある方もおられるかもしれませんね。アニメの世界では有名らしいですから…) これは、「よろこばしい知らせ」を意味していて、聖書では、神の王国がもたらす祝福に関する良いたより,またイエス・キリストに対する信仰による救いの良いたよりを指します。 回答した人: isa4310_tさん 3-1 この回答内容が不快なら 回答日時: 2006/10/6 09:56:13 編集日時: 2006/10/7 00:46:58 回答番号: 31,767,662 キリスト教でいう「福音」は、単語としては「よい知らせ」ということです。その意味は、ネット検索すると、キリスト教関連のサイトでも沢山の表現がされていて、確かによく分からなくなるかも知れません。 何が良い知らせなのかを端的に言えば「救いがもたらされている」ということです。そのことをイエス自身もイスラエルの民に告げましたし、初代教会も命懸けで宣教しました。キリスト教の信条の根幹を表しています。 もう少し字数を使うと「神は全ての人を愛しており、救いに招いている。心を改めてその招きに応えれば、誰でも真の解放と永遠の喜びが得られる」といった内容になるかと思います。 ======= 福音はイエスの教えのことに他ならないので、新約聖書のうち、イエスの言行を記述した四つの文書を「福音書」と表現します。また、キリスト教的になってゆくことを「福音化」と表現したりします。 その他の関連用語として「福音主義」という言葉がありますが、これはプロテスタント諸派の考え方一般を言う表現で、信仰の拠り所は“聖書のみ”という主義を言います。福音書のみということではなく、旧約聖書と新約聖書の全体を言っています。 また「福音派」とは、プロテスタント一般をいう福音主義と意味が違い、プロテスタント諸派の中で、より聖書記述を厳格に解釈する更に限定された教派グループを言います。福音派が極端なものを原理主義と言ったりします。(プロテスタント諸派の潮流は、リベラルなグループと福音派のグループに大別されます。日本でも両者は使う聖書が別出版になるなど、一定の距離感があるように思います) (福音主義と福音派という表現は、イエスの告げた「福音」という本来の意味からみると、特定の見方・範囲に限定した慣用表現と言えるかもしれません。) 回答した人: cioccolatonuovoさん 7-3 この回答内容が不快なら 回答日時: 2006/10/12 14:14:54 回答番号: 31,930,709 キリスト教で言う福音は 御子イエスキリストを信じる者には永遠のいのちをひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つというものです。 福音書はイエス・キリストの生涯が書かれてあります。 福音派は聖書の言葉をそのまま読む派です。 (日本人はついつい行間を読んでしまうんですよね。) 回答した人: kokoro01982さん 3-2 この回答内容が不快なら ■249 / inTopicNo.11)  Re[10]: 福音ってなあに? ▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1313回)-(2007/03/16(Fri) 05:14:29) 解決済みの質問 お役立ち度: 3人中 3人が役に立つと評価しています。 この質問の閲覧数: 147 質問日時: 2005/12/25 23:35:03 解決日時: 2005/12/31 07:35:26 質問番号: 7,104,297 ルカ4章43で「イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなけ... ルカ4章43で「イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」新共同訳 とあるのですが、実際、神の国の福音とはどのようなことを指しているのでしょうか?(内面、心の特質?)この福音を示している聖句を教えていただけるでしょうか。 回答数: 4  質問した人: rdsyh449さん 1-1 この質問内容が不快なら ベストアンサーに選ばれた回答 回答日時: 2005/12/27 00:23:26 回答番号: 25,388,739 共同訳が言う「神の国」は エホバの証人の聖書でも、 17世紀に発行されたスペイン語版聖書でも、 「神の王国」となっています。 この違いは些細なようですが、 理解に関わってきます。 まずそれはキリストと、地上からそのために招待された人たちが 王として支配する政府です。(黙示20:4) 王、つまり行政的な働きだけではなく、 祭司として、つまり神と人間との間の執り成し役としても働きます。(黙示5:9,10) マタイ25:31-46、テサロニケ二1:8,9にはイエスの王としての 働きが記されています。裁きです。 世で起きている悪い事柄に誠実に心を痛めている人たちにとっては良い便りです。 祭司としての働きは病人やあらゆる障害を癒すことに表れていますから 幾らでもご自分で探してください。 そうした癒しも罪の許しとかかわりがありますが、 死をなくするという点にも働きます。(ヨハネ3:16。黙示21:3,4) 回答した人: no_soy_de_este_mundoさん 3-3 この回答内容が不快なら この質問・回答は役に立ちましたか? お役立ち度: 3人中 3人が役に立つと評価しています。 ベストアンサー以外の回答 並べ替え: 回答日時の 古い順 | 新しい順 回答日時: 2005/12/26 14:58:17 編集日時: 2005/12/26 14:59:10 回答番号: 25,379,318 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」 ルカ17:20,21(新改訳) 福音そのものは一応聖書の言葉全部でしょうが・・・。 回答した人: kokoro01982さん 3-2 この回答内容が不快なら 回答日時: 2005/12/26 22:16:29 回答番号: 25,386,589 質問者さんの質問内容では、この回答では満足されないでしょうが・・・ 聖書の中に「福音の縮図」と呼ばれる箇所があります。 1コリント15:3〜8です。 この箇所の福音は、キリストの受難からよみがえり、多くの人の前に現れ、天国に上られるところです。 福音とは一般的に「良い知らせ」とも言われます。 聖書の中で、質問者さんの心に響いた「良い知らせ」全部が福音だと思いますよ。 回答した人: psalm94_14さん 3-3 この回答内容が不快なら 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■250 / inTopicNo.12)  Re[11]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1314回)-(2007/03/16(Fri) 05:16:03) 趙繩牧師は神が人間に与える祝福を教理的に5つに分類し、これを「五重の福音(新生、聖霊充満、癒し、生活の祝福、再臨)」として同教会の基本教理としている。これはヨハネの第3の手紙1:2「愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている」をもととしており、これを人間の霊、肉、生活全領域における三拍子の祝福と呼んでいる。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■251 / inTopicNo.13)  Re[12]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1315回)-(2007/03/16(Fri) 05:18:52) これはモルモン教だけどw 福音に該当する英語の 'the Gospel' は 'good news' (良い知らせ)という意味を持って いる。なにが良い知らせかと言うと、 聖句ガイドによれば、 イエス・キリストの贖罪によって可能になった神の救いの計画。 福音には、人が神のみもとへ戻るのに必要な永遠の真理や律法、聖約、儀式が含まれる。 神は預言者ジョセフ・スミスを通して、19世紀に、完全な福音を地上に回復された。 つまり、「イエス・キリストによって、神の救いを受けることができるようになった。」 ことが良い知らせなのである。 第3ニーファイの27章13節から21節では、キリストご自身が福音について定義され ている。「福音とは次のとおりである。」から「以上がわたしの福音である。」までが、 そうである。 第3ニーファイ 第27章 13 見よ、わたしはあなたがたに、わたしの福音について告げた。   わたしがあなたがたに告げた福音とは、次のとおりである。   すなわち、父がわたしを遣わされたので、わたしは父の御心を行うために世に来た。 14 父は、わたしが十字架に上げられるようにと、わたしを遣わされた。   十字架に上げられた後で、わたしはすべての人をわたしのもとに引き寄せた。   わたしは人々によって上げられたが、そのように人々は、父によって上げられてわた   しの前に立ち、自分の行いが善いか悪いかによって、行いを裁かれるのである。 15 このために、わたしは上げられたのである。   それで、父の力によってすべての人をわたしのもとに引き寄せ、彼らが各々の行いに   応じて裁かれるようにするのである。 16 さて、悔い改めて、わたしの名によってバプテスマを受ける者はだれであろうと、満   たされるであろう。   そして、最後まで堪え忍ぶならば、見よ、わたしはその者を、わたしが立って世の人   々を裁くその日に、わたしの父の御前で罪のない者としよう。 17 また、最後まで堪え忍ばない者は、切り倒されて火の中に投げ込まれ、父の正義のゆ   えに、そこから二度と戻ることができない。 18 これは父が人の子らに告げられた御言葉である。   父は御自分の正義のゆえに、御自分が告げられた御言葉をことごとく成就される。   父は偽らず、御自分の御言葉をことごとく成就される。 19 清くない者は、決して父の王国に入ることができない。   したがって、信仰を持ち、罪をすべて悔い改め、最後まで忠実であることによって、   わたしの血により衣を洗われた者のほかには、父の安息に入る者はいない。 20 さて、戒めは次のとおりである。地の果てに至るすべての者よ、悔い改めて、わたし   のもとに来て、わたしの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたが   たは聖霊を受けて聖められ、終わりの日にわたしの前に染みのない状態で立てるであ   ろう。 21 まことに、まことに、あなたがたに言う。以上がわたしの福音である。   あなたがたは、わたしの教会で行わなければならないことを知っている。   わたしがするのを見たその行いを、あなたがたもしなさい。   わたしが行うのを見たそのとおりのことを、あなたがたも行いなさい。 上記を整理してみるとこうなる。   ・天父はイエスを十字架に上げられるように遣わされた。(贖い主)   ・天父はイエスをすべての人々の行いを裁くものとして召された。(裁き主)   ・次の条件を満たすもの     ・キリストへの信仰を持つ。     ・罪をすべて悔い改める。     ・キリストの名によってバプテスマを受ける。     ・最後まで堪え忍ぶ。    は、   ・次のことを約束される。     ・聖霊を受けて聖められる。     ・裁きの日に罪のない者(染みのない状態)とされる。     ・天父の王国に入る。 ここで興味深い表現がされている。   「キリストが 人々によって 十字架に     上げられること」と、   「人々が   天父によって キリストのもとに 上げられること」が、 対比して書かれている。 そして、この二つの関係について、後者のための理由として前者があることになっている。 前者は贖いについて、後者は裁きについて述べられている。 つまり、裁きのために贖いが行なわれたということである。 これは何を言いたいかというと、贖いが行なわれなかったら、裁きを行なうことができな かったと言うことである。人々は神から引き離された状態にある(霊の死)ため、贖いが 無かったら、人々は、裁きの座につくとすらできなかったのである。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■252 / inTopicNo.14)  Re[13]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1316回)-(2007/03/16(Fri) 05:22:11) 福音(ふくいん)って何? STEP 1:神様の目的「平和といのち」 神様はわたしたちを愛しておられるので、私たちに平和と永遠のいのちを経験させたいと願っておられます。 聖書は言っています。 「…私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ書5:1) 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16) 神様は、私たちが今、神様との平和と豊かな永遠のいのちを持つことができるように計画をしてくださっているのに、どうして多くの人はそれを持っていないのでしょう。 STEP 2:私たちの問題「分離」 神様は、ご自分のかたちに似せて人間を創造され、豊かな永遠のいのちを持つ機会をくださいました。何でも言うことを聞くロボットとしてではなく、愛する意志と、選択の自由を与えられたものとして創造されたのです。しかし、人間は神様を無視し従わないで、むしろ反抗的に歩むことを選びました。今日の私たちもまた、このような態度のままなのです。その結果は神様からの分離でした。 聖書は言っています。 「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず…」(ローマ書3:23) 「罪からくる報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ書6:23) 人間は長い間、自分たちの側から神様の側に渡るために多くのことを試みてきました…しかし、どれも成功しませんでした。この分離の問題の解決はたった一つです。 STEP 3:神様の解答「イエス・キリスト」 イエス様は分離の問題のための唯一の解答です。イエス様は私たちの罪を負って十字架の上で死んで下さり、墓からよみがえることによって神様と人との間に橋をかけてくださったのです。彼の死とよみがえりによって、信じる人すべての罪が赦され、新しいいのちが提供されたのです。 聖書は言っています。 「神は唯一です。また、神と人との仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストはすべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。」(場Jテモテ2:5,6) 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ書5:8) 神様はただ一つの道だけを備えてくださいました。私たちは選択を求められているのです。 STEP 4:私たちの応答「キリストを受け入れること」 私たちがイエス様を信頼し、受け入れるとき、私たちはこの橋を渡り、神様の家族に加えられるのです。 聖書は言っています。 「見よ、わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、私の声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示3:20) 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12) あなたにとってもっとも素晴らしいステップは、イエス・キリストに、あなたの人生にお入りいただくことです。今すぐ、そうなさってみてはいかがでしょうか? どうやってイエス様を受け入れるの? イエス様を受け入れるためにあなたは 自分が罪人であることを認め、 あなたの罪から離れたいと心から願い、 イエス・キリストが十字架の上であなたのために死んで、墓からよみがえってくださったことを信じ、 聖霊によってイエス・キリストがあなたの生涯にお入りくださるように、お招きしなければなりません。 そして、このように祈るとよいでしょう 主イエス様、私は自分が罪人であり、あなたの赦しが必要であると知っています。私はあなたが私の罪のために死んでくださったことを信じ、罪から離れたいと思います。 今、私の心と生活の中に主として、救い主としてお入りくださるようにお招きします。私は自分の生涯をあなたにお委ねし、教会の交わりの中であなたにお仕えします。 私の祈りを聞いてくださったことを感謝します。 イエス様のお名前によって、お祈り致します。アーメン クリスチャンとして成長するために 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12) 聖書を読む 聖書は、神の言葉であり、心にとっての食事のようなものです。(マタイ4:4)少しずつでも読み始めてください。ヨハネの福音書から始めることをお勧めします。 祈る 祈りは、呼吸のようなものです。祈りは、神と会話することです。祈り始めてください。最後に「イエス様のお名前によって、お祈り致します。アーメン」と言うことをお勧めします。(ヨハネ14:13,14) 教会に定期的に集う たとえば、薪は何本も一緒にしておけばよく燃えますが、一本だけでは、すぐ消えてしまいます。ぜひ、他のクリスチャンとの交わりにいってください。(ヘブル10:25) もし、今、教会に行っておられないのでしたら、ぜひ、私たちの教会にお越しください。歓迎いたします。 htt p://www.sakaeshalom.org/gospel.html 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■253 / inTopicNo.15)  Re[14]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1317回)-(2007/03/16(Fri) 05:25:33) "Gospel(ゴスペル)"とは、「福音の神からの良い知らせ(God-spell)」というような意味です。 それは有名なアメイジング・グレイス(驚くばかりの恵み)という曲で歌われているように、 あなたにとっても、心躍る、本当に素晴らしい知らせです!!! ゴスペルの曲を歌うための秘訣は、私たち自身が、ゴスペルの素晴らしさを味わうことです。 そのメッセージの豊かさは、簡単には表現しきれませんが、 聖書に記された『イエス・キリストの福音』の内容は次のようなものです。 (引用聖書は、すべて日本聖書刊行会発行の新改訳聖書です。) 私自身、『イエス・キリストの福音』の、さらに深くて広くて高くて長い理解と、より良い表現を求め続けています。 そのためこのページは随時更新します。 メールによる意見、感想、質問をお待ちしています ^・^ htt p://shinrinomachi.at.infoseek.co.jp/gospel.html 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■254 / inTopicNo.16)  Re[15]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1318回)-(2007/03/16(Fri) 05:27:38) 銀座の鐘 パウロが語る福音とは何でしょうか。 コリントの信徒への手紙一15章1〜8節にこうあります。 ... パウロにとって福音とは十字架と復活なのです。主の十字架には、わたしたちの罪を赦し、わたしたちを罪から解放する力があります。十字架上に死んだ御子を ... www.ginza-church.com/bell/nagayama10.html - 8k - キャッシュ - 関連ページ 。。。。大きな音で鐘がなって、朝早くなので、大迷惑w 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■255 / inTopicNo.17)  Re[16]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1319回)-(2007/03/16(Fri) 05:29:03) 福音をきくために    幸田 和生 著     B6判/ 並製/208頁/定価1260円(税込・送料別) 【好評重版】  二千年前のガリラヤの人びとにとって、福音は打てば響くようなものではなかったか。今を生きる私たちにとっての福音とは何かを、当時の民衆のまなざしで読みなおす。 彼らがイエスのメッセージをどのように受け取り、どういう意味で「良い知らせ」だったのかを確認することで、現代人にとっての福音の意味を深めていく。      著者紹介 ● 幸田和生(東京教区補佐司教)     1955年、東京に生まれる。    1985年、司祭叙階。    2005年、司教叙階。 -------------------------------------------------------------------------------- < 本文から > (「第一章 福音を福音として聞くために」より)  十数年も前のこと。教会というところに通いはじめたばかりのわたしは、学生や若い社会人が集まって聖書を読む会に参加していた。福音書のある箇所をめぐってわたしたちは話し合っていた。どの箇所だったかはもう覚えていない。  「キリストはこう言うけど、普通の人間には無理だよ。」  「でも、キリスト者なんだからそうしなければ。」  「頑張ってやるしかないか。」  そんなやりとりを隅のほうで黙って聞いていた一人の人がこう言った。  「みんな、おかしいんじゃないか。これは福音書なんだ。『福音』というのは『良いニュース』のことだろう。そしたらもっとみんなうれしくなって、カが出るような読み方があるんじゃないか。」 このことばだけが心に残った。福音書を福音として読む……。   (「第四章 女性と子どもにとっての福音」より)  ある中学生のことが忘れられない。その子は、友達に誘われて教会に来た。自分の子どもが教会に通うようになったことを不思議に思った母親は、その子に教会のどこがいいのかを尋ねた。  「お母さん、教会っていうのはすごいんだぜ。リーダーとか神父さんっていうのがいて、どんな子も同じように扱ってくれるんだ。」  わたしたちにとって当然のことが、この子どもにとってはまさに福音だったのである。育ってきた環境の中で、彼は常に成績によって評価され、素行によってレッテルを貼られ続けてきたのだろう。  それは学杖だけの問題ではない。親がそういう見方をしている可能性もある。親自身が意識しなくとも、子どもにはそう感じられてしまうこともあるのだ。もう一人の子どもが言ったことばも忘れられない。  「あのね、Mちゃんはお母さんに愛してもらうために、一所懸命勉強しているんだよ。」 他人との比較からの解放  イエスのメッセージはたいへん単純なものであった。人はだれ一人例外なく、神の宮に招かれている神の子なのだ、男も女も、大人も子どもも――それはイエスの生き方において、当時低く見られていた女性や子どもに対する態度に明繚に表れているのである……。     ――――  目次  ―――― はじめに 第一章 福音を福音として聞くために 第二章 病人や障害者にとっての福音 第三章 徴税人や娼婦にとっての福音 第四章 女性と子どもにとっての福音 第五章 異邦人やサマリア人にとっての福音 第六章 イエスの弟子たちにとっての福音(1) 第七章 イエスの弟子たちにとっての福音(2) 第八章 金持ちやフアリサイ派の人々にとっての福音 第九章 二人称の福音 第十章 福音とイメージ あとがき   --------------------------------------------------------------------------------  お名前、ご住所、電話(FAX)番号、(お申込者と発送先が違う場合はそれぞれのお名前とご連絡先)、 品名、品名コード、数量をご明記の上、下記までどうぞ。おハガキやFAXでのご注文も承っております。 <お問い合わせ・お申込み専用フォーム> ●〇〇●〇〇〇 書籍のお申し込み 〇〇〇●〇〇●   オリエンス宗教研究所 〒156-0043 東京都世田谷区松原2-28-5 TEL:03-3322-7601 FAX:03-3325-5322 jimu@oriens.or.jp 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■256 / inTopicNo.18)  Re[17]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1320回)-(2007/03/16(Fri) 05:35:21) 福音のヒント « マタイ3・1-12 (2004/12/5 待降節第二主日) | メイン | マタイ1・18-24 (2004/12/19 待降節第四主日) » 2004年12月12日 マタイ11・2-11 (2004/12/12 待降節第三主日) 【教会暦と聖書の流れ】  先週に引き続き、きょうの福音にも洗礼者ヨハネが登場しますが、本当の主役はイエスです。きょうの箇所では、イエスによって実現したことが何だったのか、が示されています。「待降節第3主日」は「喜びの主日」とも言われてきました。待降節は、英語で「Adventアドベント(到来の意味)」ですが、イエスの到来によってもたらされた喜びを味わう箇所としてきょうの福音を読むと良いでしょう。 【福音のヒント】  (1) イエスがヨルダン川で洗礼を受けたとき、すでに洗礼者ヨハネはイエスを「来(きた)るべき方」だと認めていたはずです(マタイ3・14参照)。それなのになぜ、このきょうの箇所で「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と自分の弟子たちに質問させたのでしょうか。一つの考えはこうです。洗礼者ヨハネは捕らえられて、自分が死を迎えることを予感していたので、自分の弟子たちの目をイエスに向けさせ、イエスのもとへ導くために、こういう指示をした。つまり、洗礼者ヨハネ自身はイエスが「来るべき方」だということを疑っていたのではない、いう考えです。  もう一つの考えはこうです。やはり洗礼者ヨハネは疑問に思ったのではないか。それはヨハネが思い描いていた「来るべき方」のイメージと、実際に到来したイエスのイメージが大きく違っていたからではないか。洗礼者ヨハネは「来るべき方」について告げ知らせましたが、ヨハネのイメージは「神の怒りと裁きをもたらす方」でした。ヨハネはイエスの実際の活動を見聞きして、それが自分の考えるメシアのイメージと違うことに戸惑ったのではないでしょうか。  (2) 2節の「キリストのなさったこと」という言葉は「キリストの業」とも訳せますが、それはただ単に「イエスがしていた行為」というだけでなく、「イエスがキリスト(救い主)として行っていた行為」という意味にも取れます。イエスの答えは、イエスの周りで実際に何が起こっているかに目を向けさせます。それは旧約聖書の救いの到来に関する預言の成就と言えることです。特に次の箇所が思い浮かびます。 イザヤ35・5-6「そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。そのとき/          歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。」 イザヤ61・1 「主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/          貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/          捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。」  (3) 「貧しい人」というのは「さまざまな事情で圧迫され小さくなっている人」のことです。「目の見えない人」「足の不自由な人」などは皆、「貧しい人」と別の人ではないでしょう。苦しみの中にあって神の救いを待ち望んでいるすべての人が「貧しい人」と呼ばれているのだ、と考えたらよいと思います。「神の救いに飢え渇く人」と言ったほうが分かりやすいかもしれません。それは「神なしで満ち足りている」というのと反対の状態です。 ルカ4・16−21でもイエスは「貧しい人に福音を告げ知らせる」ということばをご自分にあてはめています。イエスの使命、イエスがもたらしたものを簡潔に表すことばだと言ってもいいかもしれません。わたしたちの「貧しさ」とは何でしょうか。わたしたちにとっての「福音」とは何でしょうか。  (4) わたしの中の「貧しい部分」「飢え渇いている部分」は何でしょうか。わたしたちの周りの家庭や社会、世界の中で「貧しい部分」「飢え渇いている部分」は何でしょうか。わたしたち自身の「貧しさ」を見つめることは待降節の大切なテーマです。ルカ福音書の伝えるイエスの誕生の物語は、旅をしている貧しい夫婦、飼い葉桶の中の貧しい幼子、そして最初にこの幼子を訪れた貧しい羊飼いの姿を伝えています。この幼子の誕生は貧しい人に何をもたらしたのでしょうか。  イエスによって実現したこと(キリストの業)は、単なる病気の治癒ではありません。イエスが2000年前の貧しい人々に何をもたらしたのか、今の貧しいわたしたちに何をもたらしてくれるのか、いくつかのヒントを挙げてみます。  1. この貧しさや苦しみの中で、自分はまったく独りぼっちではないと気づくこと。  2. この世界は神がともにいてくださる世界であると気づくこと。  3. 人の心に、信頼と希望と愛が生まれること。  そういう体験がわたしたちにもあるのではないでしょうか。だとしたら、それがわたしたちにとっての「到来(アドベント)」であり「降誕」なのではないでしょうか。  (5) イエスは洗礼者ヨハネを預言者として、人間として最大限に評価していますが、同時に「天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」(11節)と言います。それは、ヨハネが神の国の「準備の時代」の人であったのに、イエスの救いを受け取った人は「実現の時代」にいる、ということを意味しているのでしょう。イエスと共に「まったく新しい救いの時代が始まっている」のです。  わたしたちはこの「もうすでに始まっている神の国(支配)」に生きているはずです。そしてイエスによって始められた神の国(支配)を生きるわたしたちだからこそ、世の終わりの、人生の終わりのときの、救いの完成への確かな希望を持つことができる、と言えるのではないでしょうか。 ・・・・・やはりカトリックのかたは丁寧ですねえ。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■257 / inTopicNo.19)  Re[18]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1321回)-(2007/03/16(Fri) 05:37:27) 福音とはイエスが説いた神の国と救いの教えのことをいう。「使徒言行録」は、ペトロやパウロらによって、福音が、エルサレムに始まり、サマリア、シリア、ギリシアからローマにまで及ぶ経過が記されている。このペトロとパウロはどちらも福音を伝道した使徒であるが、なかでもパウロはキリスト教をローマ帝国に布教するのに最も功があった。そのパウロが、自分が創設した諸教会、訪ねようと思うローマのキリスト教徒、あるいは彼の協力者にあてた書簡が「手紙」である。そして、新約聖書の最後にあるのが「ヨハネの黙示録」であって、キリストの再臨や最後の審判、新世界の出現などが記されている。Key Word愛○ 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。(マタイ 22 章 37 節 マルコ 12 章 30 節 ルカ 10 章 27 節)○ 隣人を自分のように愛しなさい。(マタイ 22 章 39 節 マルコ 12 章 31 節 ルカ 10 章 27 節)○ 敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ 5 章 44 節)<日本聖書協会(編)『新約聖書』 日本聖書協会> -------------------------------------------------------------------------------- Page 2 25※キリスト教は「愛の宗教」だといわれている。神が自らを犠牲にして、人間をあまねくいつくしむその愛は、アガペーといわれる。アガペーとは、エロス(恋愛)、フィリア(友情)とは区別され、誰にでも無条件に注がれる愛である。Great Books文献案内新約聖書1∼5/新約聖書翻訳委員会(訳)岩波書店 1995∼1996年刊 <193.5DD/109/1∼5>聖書/日本聖書協会(編)日本聖書協会 1989年刊 <193/85a> 資料番号 20099578世界の名著 12 聖書/前田護郎(編)中央公論社 1968年刊 566p <080/5/12> 資料番号 12784310聖書 [口語訳]日本聖書協会 1956年刊 1326,409p <193/42> 資料番号 10305472新約聖書 3版 [文語訳]日本聖書協會 1942年刊 376p <193.5/26> 資料番号 10308898The Holy Bible,containing the Old and New TestamentsBritish and Foreign Bible Society 1962年刊 1039p <193/B> 資料番号 13274360Novum Testamentum Graece 27.Aufl/Eberhard Nestle(ed al)Deutsche Bibelgesellschaft 1993年刊 89,810p <Y193.5/4>資料番号 21181672Das Neue Testament/Martin Luther(ub vn)Britische und Ausländische Bibelgesellschaft 1929年刊502,121p <193.5/B> 資料番号 13276993The New Testament in the original Greek Text/John J.Wilson(ed)Macmillan 1898年刊 595p <193.5/B> 資料番号 13277090理解を深めるために参考文献案内聖書百科全書/ジョン・ボウカー(編著) 荒井献,池田裕,井谷嘉男(監訳)三省堂 2000年刊 544p <193.03JJ/110> 資料番号 21226360『新約聖書』の誕生(講談社選書メチエ)/加藤隆(著)講談社 1999年刊 286p <193.5HH/114> 資料番号 21186846書物としての新約聖書/田川建三(著)勁草書房 1997年刊 706,39p <193.5FF/112> 資料番号 20907861イエスの生涯(「知の再発見」双書)/ジェラール・ベシエール(著) 田辺希久子(訳)創元社 1995年刊 206p <192.8DD/109> 資料番号 20739405新約聖書物語/犬養道子(著)新潮社 1976年刊 660p <H193/I> 資料番号 70384508イエスとその時代(岩波新書)/荒井献(著)岩波書店 1974年刊 208,6p <192.8/25> 資料番号 10304533聖書入門(岩波新書)/小塩力(著)岩波書店 1955年刊 205,9p <193/12> 資料番号 10305076 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■258 / inTopicNo.20)  Re[19]: 福音ってなあに? ▲ ■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1322回)-(2007/03/16(Fri) 05:43:29) 清泉はカトリックのミッションスクールです カトリック教会とは何でしょう 2千年前、イエス・キリストは福音(注1)を告げるために来られました。イエス・キリストを信じその生きかたにならおうとする人々の信仰共同体、それが教会です。カトリック教会は紀元後1世紀からローマ教皇を中心に世界に広がっています。キリスト教信仰は近代まで主にヨーロッパの、そして現代では世界中の文明(哲学、文学、医学、科学、美術、音楽、社会思想、正義と平和の運動等)に多大な影響を与え、生命を吹き込んできました。 1960年代に開かれた第2バチカン公会議(注2)によってカトリック教会は現代社会に生きる教会として刷新されました。現ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は世界各国をまわって平和の大切さを説いたので、「平和の巡礼者」と呼ばれました。 注1: 福音とは、イエス・キリストが言葉と行いによって伝えた人類の救い。次のようにも解釈できる。・人は一人ひとり、神に似た者として、愛し、愛されるために造られたこと。例えば、マザーテレサは、貧しい人も大切な存在、愛された存在であることを身をもって伝えた現代の福音宣教者。・キリストは正しい生きかた、人間としていかに生きるべきかを自らの命を懸けて示された。即ち、愛を貫いたので、十字架にかけられた。この生き方そのものが福音。 注2: バチカン。ローマ市内にあるローマ教皇を元首とする世界最小の国家。教皇が他の国家の制約を受けることなく、自由に宗教上の権限を行使するのを保護する目的で作られた国家(バチカン市国)。または、世界のカトリック教徒の頂点であるローマ教皇庁そのものを指す。 公会議。キリスト教の教義や教会の規律に関する事項について審議決定するためにローマ教皇またはその代理人によって招集される、司教または幾つかの教会の代表者の公式会議。 第2バチカン公会議(1962〜65)。教会の刷新(現代化)とキリスト者の一致の再建を主要目的として、ローマ教皇ヨハネス23世が招集した公会議。 カトリック学校とはどんな学校でしょう 福音を原点に、イエス・キリストの教えに従って人を教育する学校。生徒の人格の成長を助けるために存在する学校。正しい考え方、生き方を学ぶ学校。 ・・・・斉藤一人さんだったら、幸せになる考え方を学ぶとか言うだろうなあ。 ■259 / inTopicNo.21)  Re[20]: 福音ってなあに? ▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1323回)-(2007/03/16(Fri) 05:45:18) 30歳頃になると、イエスはガリラヤとユダヤの人々に良い知らせ(福音)を告げ、悔い改めを求める活動を開始した。イエスの福音とは父なる神への愛と隣人への愛の二つを中心とした誰にでも分かり易い愛の教えだった。だが、当時のユダヤ教の指導者はそれを自分達の権威を脅かす危険なものと捉えた。イエスは約3年の活動の中で多くの御言葉を述べ、また、いくつもの奇跡を行った後、捕らえられ、辱めを受け、十字架に付けられて死んだ。しかし、イエスは3日後に復活し、弟子達に自らの再臨を告げて天に昇った。その後、弟子達の中からイエスは真の救世主(キリスト)であり、神の子であるとの信仰が広まり、キリスト教が成立していった。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■260 / inTopicNo.22)  Re[21]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1324回)-(2007/03/16(Fri) 05:47:57) 福音とは、イエス・キリストの十字架の死と復活を通して示された神の働きをただ感謝して受けとること(信仰による義認)。人間の作った諸々の規定から解放され自由になり、それによって良い関係を他の人々と結んで、それぞれの人生を築いていくこと(キリスト者の自由)でした。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■261 / inTopicNo.23)  Re[22]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1325回)-(2007/03/16(Fri) 05:49:32) 福音とは何でしょう?福音とはイエス・キリストです。この方は御子として肉において現れた神であり、栄光へともたらされました。それは、彼ご自身の種類にしたがって新しい種族を生み出し、多くの子たちを栄光へ導くためです。要約するとこうです。ああ、これは罪の赦しを遙かに上回ることであり、信仰による義認を遙かに上回ることです。これはそういったものを無限に上回っていますが、他のものをすべて含んでいます――これは神の深い内なる秘密であり、神が当初の御旨に関して最終的に勝利を獲得される方法です。新約聖書によると、「信仰」とは子たる身分であり、内なる霊的実際である子たる身分と関係しています。この子たる身分は、それを生み出す神のこの御業によって生み出されます。その産出は戦いの時です。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■262 / inTopicNo.24)  Re[23]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1326回)-(2007/03/16(Fri) 05:54:42) かつて白人の奴隷となっていた黒人たちは、過酷な労働を強いられ、真っ当な人間として扱われず、抑圧されたつらい日々を過ごしていました。そんな状況に置かれても、力強く、夢や希望を持ち続けた証、それがゴスペルです。 生きる希望やポジティブな言葉のことを「福音」と呼びます。ゴスペルはこの福音をたくさん発する音楽です。 漢字で書くと硬いイメージですが、例えば「ありがとう! 素敵! 幸せ! 大丈夫!」など、ポジティブな言葉を発することで、発した自分自身までも良い方向に気持ちを切り換えることができる。「福音」とはそういうものです。 みんなで歌いながらお互いの感謝の気持ちを伝え合うこと。そうすれば、ストレスや心の中のもやもやをはき出すことができます。ゴスペルにはそんな素敵な力があります! 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■263 / inTopicNo.25)  Re[24]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1327回)-(2007/03/16(Fri) 05:56:34) ♪天使ガブリエル  「福音」とはギリシャ語で「エヴァンゲリオン」と言い、「喜ばしき知らせ」という意味です。普通、教会がハリストスを世に伝えることを「福音」といいますが、正教会では天使ガブリエルがマリヤに受胎告知したことも「福音」と呼びます。イコンの中のガブリエルは、右手をマリヤに向けて、今まさに「福音して」います。左手には長い棒をもっていますが、これは、権威を委託された者つまり神から遣わされた者としてのシンボルである笏です。ガブリエルの外衣の緑色は、その福音の中で言及された神・聖神゜の力を想起させます。 ♪マリヤ   生神女福音祭のイコンの中のマリヤには、様々な姿勢・身振りがあります。驚いているマリヤや、手の平を向けて一時の戸惑いを表すマリヤなどです。しかし、マリヤは最終的に神の意志を受容しました。このイコンでは、頭を少し前に傾け、右手を胸に当てて、その同意を歌っています。このマリヤの従順さは、永遠の生命と救いを与えるハリストスの誕生をもたらしたため、死と罪を生み出した最初の女性エワの不従順さと比較されます。伝承では、この時マリヤは神殿用の被いを作るための糸を紡いでいたと言われていますが、このイコンでは、書見台らしきものの前に立っています。マリヤが「祈っている」様子を歌っているのでしょう。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■264 / inTopicNo.26)  Re[25]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1328回)-(2007/03/16(Fri) 05:58:20) はじめに    「福音」とは「良い知らせ」という意味です。聖書はわたしたちを罪から購い出すためにイエス・キリストが十字架にかかって死んで下さったこと、わたしたちを死から導き出すためにイエス・キリストが最初に復活して下さったこととを、この言葉は表しています。イエス・キリストがわたしたちのためになして下さった、救いの出来事の本質を表現する言葉で、それは文字通りわたしたちにとって「良い知らせ」であります。  日本ホーリネス教団では、この「福音」を 「四重(しじゅう)の福音: 新生、 聖化、 神癒、 再臨」 と言い表してきました。「四重の福音」という言葉は、アメリカの長老教会牧師であったA.B.シンプソンが提唱したものです。シンプソンは、福音そのものであるイエス・キリストが「救い主」であり、「きよめ主」であり、「癒し主」であり、また「再臨の主」であられるという意味で用いました。  私たちの教団の創立者である中田重治は、この表現に敬意を表し、この言葉を使用しました。しかし彼は、その強調点を、福音そのものであるイエス・キリストが、人を変化させることが出来ることにおきました。すなわち、人はキリストによって新しく生まれ変わり(新化)、きよめられ(聖化)、癒され(健化)、復活体に変えられる(栄化)るのです。新化と聖化は心霊的な変化を意味し、健化と栄化は具体的な肉体の変化を意味します。  「新生」からキリスト者の歩みは始まります。そしてその歩みは成長を続け、ウエスレーが「キリスト者の完全」とも言った「聖化」の体験にやがて導かれます。それはまた、神よりの直接的、間接的な「神癒」を重ねながらの成長です。さらにそれは、主イエス・キリストの「再臨」を待望しながらの歩みと言うことができます。  しかしこれは、単にキリスト者の歩みの順序を示しているだけではありません。過去に「新生」と救いの経験をしたものは、未来にその救いが完成する「再臨」という終末の出来事を目指して歩んでいます。「聖化」という現在の恵みは、この過去と未来の間の緊張関係でとらえられます。緊張関係というのは、神の恵みの現実(リアリティ)とも言い換えることができます。わたしたちの信仰の歩みは、こうして豊かにされ、また律せられるのです。「神癒」も同じです。  また、前文解説で再三触れたように、中田重治は、教派や教会を設立しようとはせずに、ホーリネス運動をはじめました。ですから、信仰告白を制定するようなことはなかったのですが、しかし自分たちが言い表している信仰内容を、「四重の福音」として言い表しました。  厳密には四重の福音を信仰告白と言うことはできないかもしれませんが、似た役割を果たしたとは言えるでしょう。それは、四重の福音が単なるキャッチフレーズではなく、信仰内容を言い表すものであったからです。そして、わたしたちの教団の歴史の中でも、指導者たちは「四重の福音」と「信仰告白」をほば同列に扱っています。  そしてわたしたちは、運動体ではなく、キリストのからだなる教会という共同体を形成しようと決意し、信仰告白を制定したのですから、これらのことを踏まえて、四重の福音とはどのようなものであるのか、改めて問い直すことは、とても大切なことと言えるでしょう。信仰告白でも、「わたしたちの教会の特別な使命は、 新生、 聖化、 神癒、 再臨 の四重の福音を全世界に宣べ伝え」ることだと言い表しています。  このように、「四重の福音」というのは、わたしたちの教団が大切にしてきた、信仰の「体験」を表現したものと言えます。わたしたちが四重の福音についての理解を深めることは、わたしたちの信仰の歩みそのものが豊かになることですし、また、わたしたちの宣教が祝福されることにもつながるでしょう。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■265 / inTopicNo.27)  Re[26]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1329回)-(2007/03/16(Fri) 06:01:22) 「イエスの福音の初め」と言いながら、マルコはまず最初に旧約聖書の2つの箇所を引用し、洗礼者ヨハネの活動を伝えます。「預言者イザヤの書に」と言いますが、実際には後半だけがイザヤ40・3から採られた言葉で、前半はマラキ3・1の引用です。マルコは洗礼者ヨハネの活動を単なる人間の活動ではなく、洗礼者ヨハネの登場そのものを神が昔から準備していたこと(神の計画)と見ているのです。そして、ヨハネとイエスはこの同じ神の計画の中にいるのです。そういう意味では「イエスの福音」は洗礼者ヨハネとともに始まっていると言えるのでしょう。なおここで「イエスの福音」とは「イエスが告げ知らせた良い知らせ」(マルコ1・14参照)だけでなく、「イエスの到来、活動、生涯すべてを通して告げられた神からの良い知らせ」という意味になります。 (3) 洗礼者ヨハネは「悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」とあります。「洗礼(バプティスマ)」の元の意味は「水に沈めること」「水に浸すこと」です(洗礼者ヨハネの洗礼も古代のキリスト教の洗礼も人の全身を水の中に沈めるものでした)。いったん水の中に沈み、そこから立ち上がることは、神から離れている古い自分に死んで、神によって生きる新たないのちに生まれ変わることを意味していました。そういう意味で、洗礼者ヨハネにとって「洗礼」は「悔い改め(回心)」のしるしだったのです。 ヨハネが「らくだの毛衣を着、腰に皮の帯を締め」ていたのは列王記下1・8に伝えられる預言者エリヤの姿と同じです。洗礼者ヨハネは「荒れ野」にいて、「いなごと野蜜を食べ」ていました。つまりほとんど断食の日々を過ごしていたことになります。彼は神の裁きに備えて回心を呼びかける預言者だったのです。 「聖霊で洗礼を・・・」(8節)の「霊」はギリシア語で「プネウマ」と言います。マタイやルカでは「聖霊と火による洗礼」となっていますが、これは本来、「風(プネウマ)に飛ばされ火で焼かれるもみ殻」のイメージだったようです(A年待降節第2主日の福音のヒント参照)。洗礼者ヨハネが予想していた「来るべき方」は神の裁きをもたらす方だったのでしょう。しかしキリスト教は、実際に到来したイエスの姿に合わせて洗礼者ヨハネの言葉を解釈しました。「聖霊で洗礼を授ける」は「聖霊に浸す」というイメージです。古代の人々は目に見えない大きな力を感じたときそれを「霊=プネウマ」と呼び、それが「神からの力」であれば「聖霊」と表現したのです。聖霊の基本的な働きは、神と人とを結び合わせることです。キリスト教の洗礼とは単なる回心のしるしではなく、「人を神に結びつけ、神の子とし、神のいのちにあずからせる」ものなのです。 (4) イエスが到来する以前、イスラエルの人々は神が遠くにいると感じていました。そこには、「自分たちの罪が神と自分たちの間を引き離している」という面と、「苦しむ人々を神がほうっておかれているのではないか」という両面がありました。2000年前の「イエスの到来」はこの旧約時代の人々の救いへの待望を満たすものでした。2000年前にイエスが来て、確かに決定的な救いのわざを行ってくださったとわたしたちは信じています。しかし、わたしたちの中に神の救いが完全に実現しているとも言えないでしょう。だからこそ、いつか神との決定的な出会いの時がある、これがキリスト教の終末(キリストが再び来られる時)についての確信です。 それは裁きの時でしょうか、救いの完成の時でしょうか。新約聖書の中に両方の表現が見られます。確かなことは、「そのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(Tコリント13・12-13)ということ、そして「愛は決して滅びない」(13・8)ということです。そこからどのような「回心」がわたしたちに求められているかを考えてみてはどうでしょうか。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■266 / inTopicNo.28)  Re[27]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1330回)-(2007/03/16(Fri) 06:02:40) 「福音」とは何ですか?  私たちの教会の名前にも使っています。「フクイン」と読みます。「フク」は幸福の「フク」、「イン」は「音」。すなわち「しあわせのお知らせ」です。しかし、聖書や教会での「福音」はもっと深い意味があります。それは、「神のひとり子イエス・キリストは、全人類の罪のために、ご自分が身代わりとなって十字架の刑で死なれた。これを信じる者は罪がゆるされる。そして、キリストは死んで三日目に死からよみがえられ、今もいきておられ、信じる者に祝福と喜び、救いと永遠の命を与える。」という良い知らせなのです。だれでも教会に来て、イエス様を信じるなら、福音を自分のものとすることができます。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■267 / inTopicNo.29)  Re[28]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1331回)-(2007/03/16(Fri) 06:06:37) http://http: イエス・キリストは「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ一六・一五)と命じられた。福音、すなわち神の国の福音とは、イエス・キリストへの信仰により、神の恵みの豊かさに満たされ、命の御霊に生かされることである。神の国はイエス・キリストにより、その十字架と復活による罪のあがないによって確立された。イエス・キリストはこの世のすべてのものの上にいまし、恵みをもって支配しておられる。 教会は神の国の福音を宣べ伝える聖なる委託を与えられた。わたしたちは福音の宣教を通して世に仕えるため伝道と牧会につとめ、協力一致してその使命を果たすことを志す。とくに次代を担う世代への伝道、教会学校の発展のために全力で取り組む。宣教の務めを担い喜んで奉仕するためには、わたしたち自身が福音に豊かに確かに養われ訓練されなければならない。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■268 / inTopicNo.30)  Re[29]: 福音ってなあに? ▲ ■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1332回)-(2007/03/16(Fri) 06:12:53) 証:KGK2006年夏期学校「Serving Jesus~神様があなたに託したこと~」 小熊 恭代  昨年の夏期以来1年ぶりのKGK&聖研。新発見!・悔い改め・決心を繰り返した4日間でした。 (1) 新発見! @ 豊かな実を結ぶことは、神様を愛し、人を愛すること。 実を結ぶということは、誰かに伝道し、そしてその人が救われることだと思っていましたが、このような行動と結果ではなく、「愛する」ということが基本であることを学びました。 A 自分にとっての福音とは? こう聞かれた時、頭に思い浮かんだことは、「イエス様の十字架と復活、そして神様の深い愛」でした。でも、「十字架って何?」「→私たちの罪を赦すため・・・」「罪って何?」と自問自答していくと最後までしっかりと説明できない自分がいました。自分の言葉で自分にとっての福音を伝えることが出来るようにならなきゃと思い、考えた結果、私にとっての福音は「永遠に続く希望」です。 B 日本人が求めてきたことが聖書の中にある 私はどちらかというと、日本人は仏教の影響や日本の伝統が根強いため、神様を受け入れるのは難しいのではないかと勝手に思っていました。しかし、今回の夏期学校で考えは180度転換。例えば、「武士道→仁・義」。仁とは「いつくしみ、あわれみ」、義とは「正義」です。これはまさに義なるお方イエス様の十字架によるあわれみにつながります。今までこのように考えたことがなかった私には、とても新鮮でした。 C ナイから出来ることがある(主の呼びかけに応答するポイント) 「知らない」「強くない」「何もない」etc.→このような時こそ、しもべになれる。  知らない人ばかりの時は、伝道するチャンス! (2) 悔い改め @  神様のために生きるゴール設定かどうかを問われ、就活の時、「私は、公務員になりたいです。(省略)どうか、この夢をかなえるために力を与えてください。」と自分の思いを優先して祈っていたことを悔い改めました。そして、就活を含め過去を振り返った時、私が御心ではない道を求めていても、御心の道へとしっかり私を導いてくださった神様に感謝しました。 A  この世の考え方に浸かってしまっていたことに気付かされました。世の常識の例1:判断の基本は民主主義=過半数を超えるものを善とする。これは教会の中にも入ってしまっているのではないでしょうか?何か物事を決める時、多数決を取って決めることが多く、これは神様中心ではなく人間中心であることを示されました。例2:役割は力がある人(出来る人)がやる。私は、教会で奉仕を頼まれた際、自分が出来るか出来ないかで決めていたことを悔い改めました。神様の召しに従い、仕えて生きたいと思います。例3:どのように達成するか→進化・レベルアップ。「今よりもっとよくなりたい」とレベルアップの考え方をしていました。しかし、神様を信じる私たちは新生(新しい創造)を通して変わることが出来ることを学びました。 (3) 決意 今回伝道について色々な角度から学びました。今までの大学生活を振り返ると、私はあまり伝道していませんでした。教会や、O-VIC等に誘ったりはしましたが、自分の口で神様のことを証したことはほとんど・・・。その原因として、キリストを誇りとする気持ち、福音に対する情熱が足りなかったからであると気付きました。伝道はこの地上にいる間しか出来ないこと。伝道の機会を逃さず、福音に対する情熱を燃やし続け、キリスト者としてプライドを持って、残り少ない学生生活や卒業後の生活で主を証していきたいと思います。特に日本はまだ99%の人たちが主を知らずに生きています。私たちはこの99%の人たちに福音を伝えられる日本語を話すことが出来ます。主は日本人の救いのために、裏切るかもしれないこの私に伝道を託されています(神様の愛に感謝)。託されているからには責任があります。誰かに伝える時、「あなたも変わることができるんだよ。」という思いで、結果は主にゆだね、ただ主を信じて御言葉に応答(←責任)していきたいと思います。 「あなたのその力で行け!」(士師記6:14) ■269 / inTopicNo.31)  Re[30]: 福音ってなあに? ▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1333回)-(2007/03/16(Fri) 06:17:10) その2 救いの喜び(Q1-4)  1.救われるとは喜びを得ること  『鎌倉雪ノ下教会教理・信仰問答』の問1はこういう文章です。 問1「あなたが、主イエス・キリストの父なる神に願い求め、待ち望む、救いの喜びとは、いかなる喜びですか」。  言うまでもなく私どもが知るべきこと、神の言葉によって聞かされていること、それは福音であります。喜びの知らせです。私どもが心から得たいと願い、また必ず与えられると確信することができるのは、喜びです。喜びなき救いはありません。救われているということは、喜びを知っているということなのです。そうなれば、当然、その喜びとは何であるのか、問わないわけにはいきません。そして答えはこうです。 「私が、私どもを神の子としてくださる神からの霊を受けて、主イエス・キリストの父なる神を、『私の父なる神、私どもの父なる神』と呼ぶことがでさるようになる喜びです。神は、いかなる時にも変わらずに私の父でいてくださり、私の喜びとなり、誇りとなっていてくださいます」。  カテキズムの最初の文章はとても大切です。ここに私どもの福音理解の柱を立てます。カテキズム全体は、この最初の文章、言ってみれば、信仰告白の最も集中した表現とも言うべきこの言葉を説き明かすために書き綴られるものです。「わたしたちは神の子」、そう言えるようになる喜び、それこそ福音です。イザヤ書第63章には、「アブラハムがわたしたちを見知らず、イスラエルがわたしたちを認めなくても、主よ、あなたはわたしたちの父です」とあります。預言の成就として主イエスがもたらしてくださった福音とは、まさしく、どのような状況にあっても「しかし、主よ、あなたは我らの父」と言えるようになったということでした(イザヤ64・7)。幼い子が父のことを誇り、喜ぶのに似て、それよりももっと深く、もっと確かに、神を父とする喜び、誇り、それが私どもに与えられる喜びであります。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■270 / inTopicNo.32)  Re[31]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1334回)-(2007/03/16(Fri) 06:44:48) 教会は「一致の秘跡」3.喜ばしい知らせ(福音)とは、父である神がどこまでも人を大切にしておられる(愛)というメッセージです。イエスはこれを身をもって示されました。イエス・キリストは「追い散らされた神の子どもたちを、ひとつに集めるために」(ヨハネ11・52)この世に来られ、集めた彼らをただ一つの人類家族に結び付け、そこに神が共に住むようにされたのでした(黙示録21・3参照)。ですから、パウロ六世は、「教会」について語るとき、こう言われたのです。「教会にとって、だれ一人としてよそ者である人はいません。だれ一人として教会の任務の対象外に置かれる人はいません。教会にとって『敵』は、だれかがみずから敵となることを望まない限り、存在しないのです。教会の『カトリック』(普遍的)という名称は、ただの呼び名ではありません。一致と愛と平和を世界に押し広める使命が教会にゆだねられているというのは、形だけのことではありません」(教皇パウロ六世回勅『エクレジアム・スアム』)。  この言葉を受けて、第二バチカン公会議はつぎのように宣言しました。「救いの働きをになうこのメシア的な民は、すべての人がそれに属しているわけでもなければ、ときとしては『小さな群れ』でしかありません。けれども、それは、人類の一致と希望と救いの、もっとも頼もしい若芽なのです」(『教会憲章』9項)。 教会は自分の使命を自覚しています。キリストが教会に対して、この世での「一致のしるし」となるよう望んでおられたことを、知っています。教会が移住の問題に心を配るのは、この観点からなのです。移住問題は、良くも悪くも、物事のグローバル化(世界的連携現象)の中で起きています(『アメリカにおける教会』20−22)。 グローバル化は、一方では、資本の流動、物や仕事の交流にはずみをつけ、その当然の結果として「人々の移動」を生じさせています。世界のある一点で起こる重大な出来事はすべて、地上全域に反響を呼び起こし、そのことはまた、世界の全住民が運命共同体であるとの認識を高める結果にもなっています。新しい世代の人たちは、この地球が今や「地球村」になったという感覚をもつようになっており、言葉や文化の違いを超えて、仲間づくりが始まっています。「共に生きる」ということは、多くの人々にとって日常的なこととなっているのです。 他方、グローバル化は新たな問題も生み出しています。適切な統制を欠いた世界的な自由競争社会の中では、苦境から抜け出す国々と苦境に埋没していく国々との格差が拡大しています。前者は、資本と技術をもち、世界の資源を欲しいままに利用し、連帯と分かち合いの精神を示すも示さないも思うままです。それに対して後者は、生活向上のために必要な資源にも手が届かず、時には生活必需品にすらこと欠く状態です。国際債務に押しつぶされ、内政分断で引き裂かれ、わずかな国財を戦争で消耗してしまうこともしばしばです(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『新しい課題』33項参照)。 一九九八年「世界平和の日」のメッセージで皆さんに想起していただいた通り、私たちがチャレンジすべきは、連帯を生み出すグローバル化、切り捨てをしないグローバル化の実現です(同3項参照)。 引用返信 [メール受信/OFF] 削除キー/ 編集削除 ■271 / inTopicNo.33)  Re[32]: 福音ってなあに? ▲▼■ □投稿者/ ブライダル すべての人のしもべ(1335回)-(2007/03/16(Fri) 06:57:39) ***  どうしてゴスペルを歌うのでしょうか?  *** 私がゴスペルを歌うのは、神様を賛美することが好きだからです。 ただこれだけにつきます。 ゴスペルを歌うことによって生まれてくる使命があります。 新約聖書 マルコによる福音書16章15節             そして彼らに言われた。       「全世界に出て行ってすべての造られたものに福音を述べ伝えよ。信じてバプテスマをうけるものは救われる。」 キリストの救いは血によって全うされ、私たちに救いの道を用意してくださいましたが、私たちのミッションはまだ完了していません キリストは私たちに仕事を託されたのです...述べ伝えるということを キリストの救いは完了したが、私たちの仕事はまだ完了していないのです。 福音とはイエスキリスト自身であり、キリストを信じる者たちが人々にイエスキリストを伝えていくことです だから、私はゴスペルを歌い、聖書のお話をするという使命を持って私は日々歩んでいます。 240 パウロはイエスの死と復活こそが福音であるといっている。このことからもわかるように福音書は単にイエスという人物の伝記や言行録ではなく、その死と復活を語ることが最大の目的となっている。 241 つまり、神は人間をつくったはずなのに、人間は神を知らない状態で生きているから、既にその状態で罪人、さらに、日常の悩みとか苦しみとかがあって、最後は必ず死にます。行き先は誰にも分かりません。ということで、人間はかなり悲惨なことになっているわけです。(TT)  でも、聖書には、この問題の解決についても書いてあるんです。だから、「Goodnews」よい知らせなのです。 242 しかしビックニュースです。イエス・キリストは私たちの罪のために十字架について、代わりに償いをして下さいました。ですから、この方によって救われるなら、私たちは良心の 呵責から解放されるのです! これが福音の真髄です。 243 福音とは「良い知らせ」を意味します。聖書の良い知らせとは、神の御子イエス・キリストを救い主として信じる者は、赦され、神との関係が回復され、だれでも永遠のいのちをもつことができるということです。 244 福音 ふくいん (1)よろこばしいしらせ。 (2)イエス=キリストの説いた神の国と救いの教え。ゴスペル。 245 原始福音とは、キリスト教の一流派ではない。イエス・キリストの宗教的本質を滴々伝承する霊的本源である。キリストの血に贖罪されて新生した魂が、生けるキリストと偕に歩く信仰生活の体験として、福音書の原始イエスに直接に従い学ぶことを指向する霊的な伝統である。 246 イエス・キリストの福音(イエスによってもたらされたグッド・ニュース)であり、そこには自由と解放があり、愛によって縛られ、方向を見出すものです。 247 福音というのは、究極的にはキリストご自身の事です。 248 『福音』=『良い知らせ』=『good news』です。 クリスチャンは、キリストの教えを知った段階で、既に救われたと信じることができます。つまり、福音書を読んで、信仰が始まった瞬間に、自分は救われたと感じることができるのです。だから、その書物のことを、『福音書』=『良い知らせの本』ということができるのです。 249 福音とは「よろこばしい知らせ」を意味していて、聖書では、神の王国がもたらす祝福に関する良いたより,またイエス・キリストに対する信仰による救いの良いたよりを指します。 250 キリスト教でいう「福音」は、単語としては「よい知らせ」ということです。その意味は、ネット検索すると、キリスト教関連のサイトでも沢山の表現がされていて、確かによく分からなくなるかも知れません。 何が良い知らせなのかを端的に言えば「救いがもたらされている」ということです。そのことをイエス自身もイスラエルの民に告げましたし、初代教会も命懸けで宣教しました。キリスト教の信条の根幹を表しています。 もう少し字数を使うと「神は全ての人を愛しており、救いに招いている。心を改めてその招きに応えれば、誰でも真の解放と永遠の喜びが得られる」といった内容になるかと思います。 251 福音とは一般的に「良い知らせ」とも言われます。 聖書の中で、質問者さんの心に響いた「良い知らせ」全部が福音だと思いますよ。 256 五重の福音(新生、聖霊充満、癒し、生活の祝福、再臨) 257 福音に該当する英語の 'the Gospel' は 'good news' (良い知らせ)という意味を持って いる。なにが良い知らせかと言うと、 イエス・キリストの贖罪によって可能になった神の救いの計画。 福音には、人が神のみもとへ戻るのに必要な永遠の真理や律法、聖約、儀式が含まれる。  258 神様は、私たちが今、神様との平和と豊かな永遠のいのちを持つことができるように計画をしてくださっている。 259 「神は唯一です。また、神と人との仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストはすべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。」(テモテ2:5,6) 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ書5:8) 神様はただ一つの道だけを備えてくださいました。私たちは選択を求められているのです。 私たちの応答「キリストを受け入れること」 私たちがイエス様を信頼し、受け入れるとき、私たちはこの橋を渡り、神様の家族に加えられるのです。 260 これは福音書なんだ。『福音』というのは『良いニュース』のことだろう。そしたらもっとみんなうれしくなって、カが出るような読み方があるんじゃないか。」 261 わたしの中の「貧しい部分」「飢え渇いている部分」は何でしょうか。わたしたちの周りの家庭や社会、世界の中で「貧しい部分」「飢え渇いている部分」は何でしょうか。わたしたち自身の「貧しさ」を見つめることは待降節の大切なテーマです。ルカ福音書の伝えるイエスの誕生の物語は、旅をしている貧しい夫婦、飼い葉桶の中の貧しい幼子、そして最初にこの幼子を訪れた貧しい羊飼いの姿を伝えています。この幼子の誕生は貧しい人に何をもたらしたのでしょうか。  イエスによって実現したこと(キリストの業)は、単なる病気の治癒ではありません。イエスが2000年前の貧しい人々に何をもたらしたのか、今の貧しいわたしたちに何をもたらしてくれるのか、いくつかのヒントを挙げてみます。  1. この貧しさや苦しみの中で、自分はまったく独りぼっちではないと気づくこと。  2. この世界は神がともにいてくださる世界であると気づくこと。  3. 人の心に、信頼と希望と愛が生まれること。  そういう体験がわたしたちにもあるのではないでしょうか。だとしたら、それがわたしたちにとっての「到来(アドベント)」であり「降誕」なのではないでしょうか。  (5) イエスは洗礼者ヨハネを預言者として、人間として最大限に評価していますが、同時に「天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」(11節)と言います。それは、ヨハネが神の国の「準備の時代」の人であったのに、イエスの救いを受け取った人は「実現の時代」にいる、ということを意味しているのでしょう。イエスと共に「まったく新しい救いの時代が始まっている」のです。  わたしたちはこの「もうすでに始まっている神の国(支配)」に生きているはずです。そしてイエスによって始められた神の国(支配)を生きるわたしたちだからこそ、世の終わりの、人生の終わりのときの、救いの完成への確かな希望を持つことができる、と言えるのではないでしょうか。 262 福音とはイエスが説いた神の国と救いの教えのことをいう。 263 福音とは、イエス・キリストが言葉と行いによって伝えた人類の救い。次のようにも解釈できる。・人は一人ひとり、神に似た者として、愛し、愛されるために造られたこと。例えば、マザーテレサは、貧しい人も大切な存在、愛された存在であることを身をもって伝えた現代の福音宣教者。・キリストは正しい生きかた、人間としていかに生きるべきかを自らの命を懸けて示された。即ち、愛を貫いたので、十字架にかけられた。この生き方そのものが福音。 264 イエスの福音とは父なる神への愛と隣人への愛の二つを中心とした誰にでも分かり易い愛の教えだった。 265 福音とは、イエス・キリストの十字架の死と復活を通して示された神の働きをただ感謝して受けとること(信仰による義認)。人間の作った諸々の規定から解放され自由になり、それによって良い関係を他の人々と結んで、それぞれの人生を築いていくこと(キリスト者の自由)でした。 266 福音とは何でしょう?福音とはイエス・キリストです。この方は御子として肉において現れた神であり、栄光へともたらされました。それは、彼ご自身の種類にしたがって新しい種族を生み出し、多くの子たちを栄光へ導くためです。要約するとこうです。ああ、これは罪の赦しを遙かに上回ることであり、信仰による義認を遙かに上回ることです。これはそういったものを無限に上回っていますが、他のものをすべて含んでいます――これは神の深い内なる秘密であり、神が当初の御旨に関して最終的に勝利を獲得される方法です。新約聖書によると、「信仰」とは子たる身分であり、内なる霊的実際である子たる身分と関係しています。この子たる身分は、それを生み出す神のこの御業によって生み出されます。その産出は戦いの時です。 267 「福音」とは「良い知らせ」という意味です。聖書はわたしたちを罪から購い出すためにイエス・キリストが十字架にかかって死んで下さったこと、わたしたちを死から導き出すためにイエス・キリストが最初に復活して下さったこととを、この言葉は表しています。イエス・キリストがわたしたちのためになして下さった、救いの出来事の本質を表現する言葉で、それは文字通りわたしたちにとって「良い知らせ」であります。 268 「イエスの福音」とは「イエスが告げ知らせた良い知らせ」(マルコ1・14参照)だけでなく、「イエスの到来、活動、生涯すべてを通して告げられた神からの良い知らせ」という意味になります。 269 、「神のひとり子イエス・キリストは、全人類の罪のために、ご自分が身代わりとなって十字架の刑で死なれた。これを信じる者は罪がゆるされる。そして、キリストは死んで三日目に死からよみがえられ、今もいきておられ、信じる者に祝福と喜び、救いと永遠の命を与える。」という良い知らせなのです。だれでも教会に来て、イエス様を信じるなら、福音を自分のものとすることができます。 270 福音、すなわち神の国の福音とは、イエス・キリストへの信仰により、神の恵みの豊かさに満たされ、命の御霊に生かされることである。神の国はイエス・キリストにより、その十字架と復活による罪のあがないによって確立された。 271 自分にとっての福音とは? こう聞かれた時、頭に思い浮かんだことは、「イエス様の十字架と復活、そして神様の深い愛」でした。でも、「十字架って何?」「→私たちの罪を赦すため・・・」「罪って何?」と自問自答していくと最後までしっかりと説明できない自分がいました。自分の言葉で自分にとっての福音を伝えることが出来るようにならなきゃと思い、考えた結果、私にとっての福音は「永遠に続く希望」です。 B 日本人が求めてきたことが聖書の中にある 私はどちらかというと、日本人は仏教の影響や日本の伝統が根強いため、神様を受け入れるのは難しいのではないかと勝手に思っていました。しかし、今回の夏期学校で考えは180度転換。例えば、「武士道→仁・義」。仁とは「いつくしみ、あわれみ」、義とは「正義」です。これはまさに義なるお方イエス様の十字架によるあわれみにつながります。今までこのように考えたことがなかった私には、とても新鮮でした。 272 福音とは、「私が、私どもを神の子としてくださる神からの霊を受けて、主イエス・キリストの父なる神を、『私の父なる神、私どもの父なる神』と呼ぶことがでさるようになる喜びです。神は、いかなる時にも変わらずに私の父でいてくださり、私の喜びとなり、誇りとなっていてくださいます」。 273 喜ばしい知らせ(福音)とは、父である神がどこまでも人を大切にしておられる(愛)というメッセージです。イエスはこれを身をもって示されました。イエス・キリストは「追い散らされた神の子どもたちを、ひとつに集めるために」(ヨハネ11・52)この世に来られ、集めた彼らをただ一つの人類家族に結び付け、そこに神が共に住むようにされたのでした(黙示録21・3参照)。 274 福音とはイエスキリスト自身であり、キリストを信じる者たちが人々にイエスキリストを伝えていくことです だから、私はゴスペルを歌い、聖書のお話をするという使命を持って私は日々歩んでいます。 inserted by FC2 system